古田になれなかった日
久々(といっても二ヶ月くらい振り)に
Keyのオフィシャルページを見たら、スタッフ日誌が更新されていた。9/24の日付だから、先々週の話になるが。それによると、麻枝准は来年の1月で30になるらしい。・・・ん、まてよ。と、いうことは、麻枝准て自分と同じ歳じゃないか?!
正直な話、ショックである。どれくらいショックかというと、堀江由衣が自分より年下だと知ったとき並みのショックである。・・・わかりづらい例えだな。
まあ要するに、てっきり自分より2,3歳上だと思っていた人が自分と同じだけの若い人で、しかもそれなりの業績を残している、ということがショックなのである。確かに実際、29歳っていったら、出来る奴は相当高いところ行っちゃってる年齢だもんなあ・・・。
てな訳で、本題。麻枝准云々とは全く関係なく、「このままじゃいけない」という思いの元に一ヶ月前から転職活動をしている。決まったところは、まだ無い。まあ正式に決まったら経緯を文書化してここに上げるつもりでいるので、それについての詳細は省こう。今日書くのは、先日の退職交渉について。
正直な話、今の会社は非常に待遇が低い。沖縄の会社だから、東京や名古屋と比べて低いのはこれは仕方ないのだが、県内同業他社と比べても異常に低いのである。そもそも、琉大の中で「あそこは待遇が悪い、やめとけ」なんて囁かれるくらいの所だから。
それでも、いつかはそれが良くなる、否、自分が良くするというつもりで、これまで耐えてきた。本社に戻ったら、労働組合を作るつもりでいた。
労組というとここ数年の日本社会では非常に受けが悪いが、しかし実際問題として、組合のない会社とある会社を比べてみれば、ある会社の方がずっと働きやすい環境にある。そもそも、待遇改善や経営上の諸問題に関して経営陣と交渉するに、それ用の組織を作った方が有利なのは当然なのだ。個人の立場でモノを言ったって、所詮は「意見具申」にしかならない。対等な交渉になどなり得ないのだ。
ところが、その「本社に戻る」のが、一体いつなのか全く見通しが付かない。これはもしかして、企みがバレたか? だから戻さないのか? 等と思っているところに、ボーナスカット。これはいかん、今すぐにでも組合作りに動こう、と思って同じような立場の人、数名にメールを送ったのだが。
結果は挫折。と言うか、結局労組のろの時も出せなかった。
理由はいろいろ挙げられるのだが。要するに自分がヘタレだったと言うことである。労働組合という、一つの組織を生み出すだけの力が自分にはなかったと。
最近、労組日本プロ野球選手会の古田会長がとてももてはやされている。まあ当然だろう。労組という、経営陣から排除対象にすらなりかねない組織のトップを永年勤め、ストという諸刃の剣を使いこなし、交渉妥結にまで導いたのだから。
そう。これはとても大変なことなのである。自分達の生活を守るためとは言え、簡単に出来ることではない。そして、自分はそういうことが出来なかった。
そんな沈痛な思いを胸に、退職を決めた。残される彼らには申し訳ないが、せめてこれが、何かのきっかけになればという期待を込めて。
10年後、笑っていられるのは自分だろうか。それとも、残った人たちの方だろうか。
−−−−−−−−−−−−−−