遺伝子操作に異論はないが
正直バイオ関連は知識も見識もあまり無いので、文書化を見送っていた。いや、文書整理をしていたら一ヶ月前の書きかけの文書が出てきたので再着手した、というのが真実。
で、本題。
遺伝子操作というとガンダムSEEDを連想するのがもはや常識ですよね?
すいません、ここは非オタクの人も見てるんでした。
今度こそ本題。
北海道で遺伝子組み換え(GM)種子による大豆栽培が行われ、しかも一般向けに集荷までされていたというニュースが、10/3付けの毎日新聞北海道版に掲載された、というのがそもそもの騒動の発端である。詳細については、
FOOD SCIENCE並びに
MSN毎日の記事を参照していただくこととしよう。
さて。遺伝子組み換え(GM)作物、というと大概の日本人が拒絶反応を示す。いわゆる環境保護派の人を代表格として、一般消費者と呼ばれる主婦層や学生もどちらかというと否定的な感情を持っているようだ。
遺伝子組み換えいらないというページでは、GM作物を否定する根拠がいろいろ挙げられている。が、これらの大半は、結局の所「得体の知れない、訳のわからないシロモノだから」ということだと要約できるだろう。
私自身はGM作物を全面的に否定するつもりはない。遺伝子操作と言ったってわざわざ意図して危険なものを作り出すはずはない。GM作物を使った作物でアレルギー反応が出た事例がある、というのが前述のサイトにあったが、そんなものは自然に作った作物にだって十分あり得ることだ。むしろ安全性を高める為に組み替えをしている例の方が多い。「この品種なら虫が寄らないから無農薬栽培が簡単に出来ます。」という種子だってあるのだ。
こういった事実は、まだあまり知られていない。そこで、農業系の研究者や技術者の中には、隔離圃場という施設を使って、遺伝子作物の試験栽培をしようとしている。外部に種子や花粉が漏れることのない環境下で、本当に目的どおりの効果が出るのか、安全性が確保された作物が出来るのか、確かめようというわけだ。
ところが、こういう動きすら現在の日本では反発を招く。実効性とか安全性とかではなく、感情的な理由としか思えない行動が、時として行われているようだ。また、経済的な利害からそういう動きも起きるようだ。今回のGM大豆出荷事件に限らず、北海道では研究者・GM推進派農家 対 北海道庁・JAという対立が長く続いているらしい。本来なら中立、むしろ安全で利益が出るなら推進に回っても良いはずの役所やJAが反対に回るというのは、どうにも解しがたいものがある。
最も、推進派に非がないとは言い切れない。今回の出荷事件は明らかに勇み足であり、また消費者に対する事前説明が全く行われなかったという意味では、無責任とすら言える。「日本国内で流通している大豆の9割は輸入物であり、その大半はGM大豆である」等という論法を展開したところで、「じゃああなたは、出荷の際にそれを輸入物として流通させたのですか?」という質問にどう答えるつもりか。輸入大豆と国産大豆では、用途が全く異なる。出荷したGM大豆が結局どのような形で消費されたのか、少なくとも私は知らない。
また、研究者にも驕りから抜けきっていない節がある。「安全な遺伝子組み換え作物」等という言葉が、未だに聞かれる。その安全性は、一体いつどうやって証明されたというのか。少なくとも日本国内におけるGM研究はまだまだ不十分であり、安全性の立証など出来ようがない。だからこそ、それを積極的に推し進めていかなければならないのではないのか。
とまあ、ひとしきり噛みついたところで。件の「いらない」サイトにあった反対理由で、唯一共感できたものを紹介しておこう。「作物の種子が独占される」というものである。
これは実際その通りだと言えよう。GM種子の大半は、意図的か偶然かはわからないが、育てて出来た種から、芽を出すことが出来ない。つまり、種が欲しければ作っているところから買うしかないのだ。その種を作る為の技術は、当然特許によって保護されている。そして、その特許を持っている企業はわずかであり、しかも大半がアメリカの会社なのである。
しかも。そのアメリカというところは、こと農産物に関しては、安全性に関してルーズといわざるを得ない国だ。なにしろ、「牛の年齢なんか肉の出荷段階ではわかるはず無いけど、3歳以下の若い牛ならヤコブ病は発生しないから大丈夫」等という論法を平気で展開してくる国なのだから。
「そんな国で生み出された種子なんか使って大丈夫なの?」という、堂々巡りに繋がりかねない疑念が出てきても、致し方のないところだろう。
そろそろ、アメリカの次の大統領が決まる。が、どちらが勝つにしても、自国アメリカの権益保護、つまり何が何でもアメリカ産の種子を買わせること、に関して全く変わりはないだろう。
そんなアメリカに対して、日本の政府は国民を守る為の選択がとれるだろうか。日本国民は、そういうことが出来る政治家を選び出すことが出来るだろうか。政治に頼らずとも、安全なものを自ら選び取ることが出来るだろうか。
我々は、正しい選択ができるだろうか。我々は、賢くいられるだろうか。我々は、より良い安全な未来を勝ち取れるだろうか。
全ては、真実を知ることから始まる。
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