ヒガオメール
この文書は、私の後輩に当たる、ヒガオと呼ばれる男からのメールに対する返信を転載したものである。尚、返信だけを掲載しても意味はつかみにくいと判断し、原文(一部)もここに転載させて頂くことにした。
----------ここから原文----------
> 暇だったので返信してみました。
>
> ときおり日頃の欲求不満の矛先をぎぇるげーとやらに向けている
> といった主旨のメールと共に貴兄はなにやら、同人誌とやらをや
> っているという様な内容を読んだ気がするのですが、今回はそれ
> に関連すると私が勝手に思っている話題を一方的にしたいと思います。
>
> ぎゃるげーやアニメなどに伴うネガティブナなイメージを払拭で
> きずにおる私ですが、そのコミュニティのもつ先進的かつ強かな
> 行動には少しばかりの興味と敬意をはらっております。
>
> とくに同人誌や同好会の類は、その進化の先は学会という私の敬
> 愛?する科学のコミュニティー形式があるわけでありますから、
> なおさらであります。
>
> テレビや雑誌などでは、アニメやそれに伴うぎゃるげーなどの同人
> 誌の市場がかなりのもであり、年数回のあつまりではかなりの収益
> を上げる人気者アマチュアがいるようなのですが本当なのでしょうか?
>
> ぎぇるげーやアニメをそのまま科学におきかえ一儲けできないか?
> 一儲けしている者はいないかといったことが近頃の私の興味の一つ
> であります。科学というのは幼き子の中にはそれなりにあるもので、
> それが、成長すると共に環境の影響などさまざまな状態をへて科学
> とは言いがたいものに興味をもったりするものですよね。
>
> わたくしの経験をいえば、はるかに科学よりもアニメやぎゃるげー
> にふれる機会が容易である環境におかれていた様におもえま
> す、私の行動力のなさと性格のようなものがその様な結果を生んだのかも
>
> しれませんが、おもうに、もうすこし科学的な興味を発展させるこ
> とのできる、雑誌や活動があっても罰はあたらないのではと思うの
> ですがどう思われますか。人間には駄菓子時代という時があると言
> えるとおもいます、やく10歳くらいまでだとおもうのですが、この
> 時期はとくに身の周りにあるものはなんでも楽しくまた、そうして
> いることが容認されるものであり科学はとても学びやすい環境にあ
> ります、しかし中学、高校となると駄菓子時代と同じように遊んで
> いてはすこし痛い。でも科学したい、そんなとき、何もなかったら、
> そりゃ、空想世界にすっころんでしまうのも仕方が無いとわたしは
> おもうのですがどうですか?
>
> ファイマンには壊れた真空管ラジオが、Linux開発者のライナス
> 氏には当時希少なパソコンのパンフレットを取り寄せてくれる電気
> 屋さんがありました、これから駄菓子時代をぬける人にはいったい
> なにが必要なのでしょう?アニメやぎゃるげーだけではなく何かも
> っと儲かるものがありそうだと思いませんか?
>
> 貴兄のWebページや時おりおくられてくるメールの語りくちには
> ときおり笑わせてもらっているのですが、内容がぎゃるげーではちと
> 悲しい、物理学科であったわけであるから、なにか、こう科学の噺
> もあるといーなーなどとおもっているのですが、そこらへんの興味
> はあまりないのですか?
>
> 以上、職歴なしの世間知らず男のほら穴からのメールでした。
----------ここまで原文----------
以下が、上記メールに対する私の返信である。尚、一ヶ月以上経って返信しているのは、私の怠慢以外の何物でも無い。又、語り口については、単なる趣味である。
岩瀬@試験明け です。
こう見へてもけっこう精一杯やってます。
嘘ですごめんなさひ、夕べもゲヘムやって遊んでました
返信がすっかり遅れてしまって申し訳なく思う候。
送ったこと送った内容思い出していただければこれ幸いにて候。
あなたのことは覚へています。覚へているからこそ、ccメールなど送ったりしているわけです。
暇だったと申しますが、貴殿は今一体何をしておられるのでしょうか。
もしどこかで燻り続けているといふのでしたら、正直貴殿程の人材がそのやうに放置された状態にあるのは社会的損失と考える次第であり、資金稼ぎついでに2,3年程都会に出て派遣技術者でもやって頂ければ世の中の技術者不足も少しは解消するであらうにと思ふ次第であります。
欲求不満の解消と申しますとまさにそれは単刀直入な言い方であり全く以てその通りですとしかいいやうがない故に外に出て男の子はみんなかうなんだと叫びたくなってしまう気分にもなるものですが。
しかしながら小生Web活動はしてはゐるものの、自費出版物としての作品発表いはゆる同人誌といふものについては未だに作成したことがなひのが現状であります。
ちなみに同人誌というものは今でこそをたくの作り為すあやしひ本の如く言はれておりますが、その起源を辿れば江戸時代にまで遡るものであり、それは決していかがはしき類のものなどではなく、確かに浮世絵など当時の世からすればいかがはしき内容の物もありはしましたが、そもそもは文学作品から学問書に至るまで幅広い分野に於ひて同好の志を募り書物に仕立て上げたものが始まりであります。
我々に縁のある理学も例外ではなく、理科学校(現在の東京理科大学)の教員達が薄給を補ふ為に自前で論文集を編纂し売ったといふ話は有名であります。
さういう意味では、同人誌はまさに日本の学術文化の結晶と言っても過言ではないでせう。
科学が金儲けに利用できないかと言ふことについてでありますが、それに関しては私見ではありますが無理ではないかとの所感を持っております。何故なら、科学といふものは本質的に技術や社会システムの根底を為す部分になるわけだからであります。
私27年間生きてきまして、特にこの数年事業や経営といふものについてそれなりに思考してきたつもりであります。そこから導き出された結論と致しまして、事業として最も利潤が大きひのは、流通最下流のしかし最終消費者の矢面には立たない部分、つまり最も消費者に近ひ中間業者である、と達観した次第であります。その逆に、最も利潤が少ないのが最上流に位置するもの、つまりは原料生産者、若しくはモジュール製造者にあたるわけです。
そして工学若しくは社会技能に於いて、それぞれの過程に該当する部位があるわけでありますが、科学、おそらく貴殿の言ふ自然科学は基礎科学と呼ばれる、技術技能の最上流に位置するものであり、過程から言へば利潤の最も少ない部位と言はざるを得ません。
又自然科学といふもののその目的は、真実の探求である、といふ言わば宿命的なものを背負っております。そしてそれは時として、目的の為には金に糸目を付けなひといふ行為にも繋がってくるのであります。無論、この真実の探求といふ目的意識を守るかどうかは自然科学者個々人の判断に委ねられるのは確かなのですが、守らなかった場合の社会の評価、特に個人の評価よりも業績そのものへの評価が、それは科学では無ひということに成りはしないか。さう考えれば、例えそれで金儲けが出来たとしても、それは結局科学による金儲けではなひ、さう考える次第であります。
只、金儲けを別とした純粋に啓蒙といふ行為であるならば、それは科学に関する活動の一環であると、自己も人も納得させることが出来るでせう。
その為の手段としてギャルゲエやあにめを用ひるといふ考えは、決して間違ったものでは無いと考える次第です。特に日本に於いては、あにめの内容にSF的なものが採用されることが多く、またそのシナリヲの質の高さは、嘗ては三流作品と揶揄された亜米利加あにめとは比べものにならないほどの高さを誇っております。
現に、古くは鉄腕アトムからドラえもん、機動戦士ガンダムといったSF作品に感化され、多くの青少年が理学工学の道を志すようになったといふ事は、業界関係者では周知の事実となつております。
昨今では新世紀エヴァンゲリオンや機動戦艦ナデシコといつた作品が科学的考察度の高い作品として挙げられます。恐らくは此らの作品に感化されて生物学や量子論を志すようになつた若者もきつといることでせう。
只逆に、近年此らの作品に中途半端な影響を受け、十分な科学的考察の無ひ、寧ろ自然科学の法則に反するような内容を平気で演出として用ひる作品が増えてひるのもまた事実であります。
私めは未だ見たことが無いのですが、無限のリヴァイアスといふ作品が自然法則を無視してひるといふことで理系関係者から散々批判されたことはもしかしたら聞き及んでいるやもしれません。
また、最近のネットワアク・コンピュウティング技術の発展に則って、此らの技術を題材にした作品も多く見受けられますが、この多くは唯物論からかけ離れた、寧ろ唯心論的な思想に基づひて描かれている事が多く、科学的啓蒙という観点からすれば到底許容出来なひものばかりであります。
また、ギャルゲエ、更にはエロゲエといったものに関して言へば、根本的にジャンルとしてのSFが嫌われているとしか思へない状況であり、科学的であるどころか魔術神秘超能力といつたものが頻繁に用いられ、それらを肯定するためにシナリオライタアが躍起になつて作品を作っているといふ有様です。
この様な嘆かわしき現状に一石を投じることは、確かに決して無意味なことでは無ひと私も考える次第であります。
只一点気になりますのは、貴殿の主張に有まする「科学というのは幼き子の中にはそれなりにあるもので」といふ下りでありまして、此が具体的にどのような状況なり行動を指すものかは存じませんが、少なくとも大多数の幼子の中には科学といふものは存在しない、と言はざるを得ません。
何故なら、科学といふものは人類の築き上げた反遺伝子的知識の集約であり、それは言葉によつて継承されるべきものであつて、決して生まれた時から本能として備わつているものなどではあり得ないからであります。
であるからこそ、幼子は芒穂や闇に恐れを為し、想像の中で超自然的なものを生み出し、口頭によつてそれを広めていつたりするのです。それがそのまま矯正されず少年期青年期にまで至れば、占ひや心霊、魔術といつた類を信じ込むようになり、果ては怪しげなるカルト宗教にまで走つたりするのです。
だからこそ。我々は蛮勇を奮い、彼らの間違ひを元から正す必要性を、今ここに感じるのではないでしょうか。この世を動かす正しき自然法則といふものをば教え、本能から来る邪心邪教を打ち払うことこそが科学を標榜するものの使命と言へるのではないでしょうか。
さらに余談を言はせて頂けば、科学よりもあにめに触れる機会が容易であつたのは私も同様ではありますが、科学よりもギャルゲエに触れる機会が多かったとは、私は到底思ひません。寧ろ私が初めてギャルゲエなるものをやつたのは大学の三年になつてからであり、否、厳密に狭義を以て言へば、ギャルゲエといふものは未だやったことが無く、エロゲエと呼ばれるものしかやつたことはありませぬ。
そのやうなことはどうでも良いのですが、一般の男子諸君、さらには女子諸君に至ってはギャルゲエといふものは未ださほど身近なものでも無いといふことであります。そして、此は正に個人的偏見に為るのですが、ギャルゲエに走る男子といふものは、大凡其の時点で自己といふ存在を貶め逃げに走つている状態であると考えます。その様な逃避心理にあるものに幾ら科学を語つたところで、耳を塞がれ殻の中に身を閉ざされてしまふのがおちといふものではないでせうか。
最後になりましたが、此だけは言わせて頂きませう。
嘲笑われるやもしれませぬが私は未だ夢を捨てたわけでは決して無く、今でこそこの様なところで燻ってはおりますれども、何時の日か大願成就を果たし己が野望を実現させんと日々策を練つている次第であります。
只、誤解の無いように言つておきますれば、私の目的は当初から物理や自然科学などには無く、それらは野望実現のための手段でしかなかったといふことであります。そのことに気づき、又大学在学中に己がそれを実行するに適していないと認識させられた今現在、私の心の中では、物理といふものは既に学科卒といふ社会的ステイタス以外の何物でも無ひのです。
但し、道具としての物理若しくは自然科学への興味を失つたわけでは決して無く、此らを使いこなせる優秀な人間が身近にいれば、それは是非親睦を深めて私と共に同志として闘って頂きたひといふ心も又あるのであります。
さういう意味では、未だ物理への熱意を失わなひ貴殿には、是非私の同志としてこれからも自己の鍛錬に励んで頂きたいと痛切に願う次第であります。
長くなりましたが、以上、私からの身勝手な口上であります。
最後まで御笑読頂けたことを心より感謝しております。
敬具。
二〇〇二年一〇月二〇日
岩瀬 慶一郎(荒野草途伸)
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