登山日記
先週末
(6/21)の話になるが。母と妹と3人で、「登山」に行ってきた。といっても、いわゆるリュック背負って履き慣れた靴履いていく登山のことではない。俗語としての「登山」をしてきたという意味だ。この段階で、一部の人間は、我々がどこで何をしてきたのかわかってしまうことだろう。それくらい、マニアック好きには有名な行為なのだが、判らない人の為に参考資料を提示しておこう。
この検索結果で出てくる各ページを参照して頂ければ、大凡のことはわかるものと思われる。
さて、説明も済んだことだし、ここからは予備知識ありという前提で話そうか。最も我々も、つい先週までは殆ど予備知識1/∞であったわけだが。そもそも私がいけないんです、精神疾患に付き自宅療養で愛知に帰ってきてるのをいいことに、「山」に行きたいなどと言い出すから・・・
まあ、それはいいとして。その日の午後、我々家族3人は、愛知県瀬戸市にあるベースキャンプを出発した。妹は体調が悪いと言っていたが、それでも同行を拒否しなかった。新瀬戸、大曽根、久屋大通、御器所、八事を経由して、名古屋市営地下鉄鶴舞線いりなか駅に着く。尚、いりなかは地名としては「杁中」であり、市バスのバス停名もそうなのだが、どういう訳か地下鉄の駅名はひらがな表記である。謎である。
どうでもいいが、名古屋の地名というのは微妙に読みが難しいものが多い。前述の御器所も、これは「ごきそ」と読むのである。高校で古文をやった人ならああなるほどと思うだろうが、一発で読むのは難しいかもしれない。あと、千種とか瑞穂とか緑とか鳴海とか、妙に萌える地名も多い。いっそのこと、名古屋の地名を名に持つ女の子が出てくるギャルゲーなんかを名古屋市役所あたりが出してくれないものだろうか。埼玉県がエロゲーのキャラで小学生用の学習ソフトを作らせるご時世なんだから。って駄目か、ただでさえ名古屋はオタの巣窟と言われているのに、これ以上社会逸脱者を増やしたら地域経済丸ごとあっちの世界に飛んで行きかねない。
話が逸れてしまった。戻そう。ちなみに、八事を経由しているのは、単に乗り過ごしたからである。母と妹は鶴舞線は不案内であったし、私は途中にある「川名」駅の表記を見てつい妄想にふけってしまったからだ。これは決して不健全な行為ではない。真性な鍵っ子(真性包茎のKeyファンという意味である)ならば、「山」に行く途中でこの駅名を見ると必ず妄想してしまうというのは、南山大学の大学院生(当時)牡蠣野廣友氏が証明済みである。
そうそう、鍵で八事と言えば、八事には麻枝准の母校中京大学がある。最も、情報科学部だったら八事ではなく東郷町かその辺に通っていたと思うが。まあ、たぶん八事だろう。ちなみに中京大の八事キャンパスには私も浪2の頃通っていて、ちょっと感慨深いものがある。と言っても中京大そのものに行っていたわけではなく、中にある放送大学の学習センターに通っていただけだったのだが。そう、あの頃の自分は、もっと純粋で人生の使命感に燃えていた。少なくとも、川名駅を見て妄想するようなダメ人間ではなかった。あ、そう言えば初めてえろほん買ったのもこの辺だったっけな
また話が逸れてしまった。どうも、まだ「山」以来の現実逃避癖が抜けないようだ。
いりなか駅1番出口を出て左に曲がり信号を渡ってすぐ左に曲がりまたすぐに右に曲がって坂を10分強上って小学校を過ぎた交差点を右に曲がると、医院の隣にでかい看板があった。建物の表によく見る「氷」という垂れ幕があり、思わず笑ってしまう。
入ってみると、中は落ち着いた雰囲気の、中高年が好みそうな普通の喫茶店である。が。客層が明らかに違う。まずいたのが、10人はいたであろう体育会系の高校生の集団。そして脇にはいかにも学生サークルっぽい一団。喫茶店よりはマクドナルドで見かけそうな面々である。家族連れ3人というのは少し場違いかと一瞬気後れがしたが、しかしこの店に場違いもへったくれもあるものかと気を奮い立たせ、奥の席に座った。
とりあえず、目的の「いちごスパ」を頼もうとして、脇の「期間限定・秋〜春」と言う表記に目がとまる。期間限定商品なのか。まあ、苺は季節ものだからな。ん、しかし待て、秋から・・・?苺の季節って、冬から春じゃなかったか・・・?まあ何にしろ今は夏だから無いのかなと思い、注文取りのお姉さんに確認すると、返ってきた答えは幸か不幸か「ありますよ」。あるのなら食わねばなるまいいちごスパ。
母上が「やきスパ」を頼み、妹が「紅茶」を頼んだところでお姉さん「えっ」と意外そうな声をあげる。何がそんなに意外なのだろう。そんなにとんでもないメニューなのか、それともここ「山」でそんなまともなメニューを頼むことが驚きなのか。不必要に期待を抱かされてしまう。
そして、紅茶やきスパいちごスパの順であがってくる。多少の疑念を抱かせた紅茶であったが、どうやらはまともなものだったらしい。やきスパは麺がゆですぎ、具材の鮮度悪すぎ。味の組み合わせとしてはそんなに悪くないものだっただけに、惜しい。いくら変な客ばかり来るからって、何もわざわざ不味くしなくても良かろうに。
そして、問題のいちごスパ。山盛りの、いちごソースで真っ赤にコーティングされた麺に、生クリームと果物(キゥイ、イチゴ)が乗っている。まさに文字通り、イロモノである。これは味の方もさぞかし・・・と思い来や
「ん、全然不味くない。」
と言うか、むしろうまい。特に、炒めた麺の先が固焼きになってる部分など、イチゴソースのかかったお菓子みたいで絶妙なマッチングである。熱い部分は多少気持ち悪かったが、しかし冷まして食べればちょっと小粋なデザートといった感じである。水瀬名雪なら、大喜びで2,3杯は食べそうな味である。勝った、と私は思った。余裕で単独登頂できる、と確信した。
10分後。
「く、くるしい・・・・」
猛烈な満腹感が、私を襲っていた。否、腹は別に問題無い。普通にラーメンなんか入りそうな感じである。しかし。問題は、脳である。満腹中枢が、これ以上糖を体内に入れてはならないと盛んに警告している。血糖値が上がりすぎているのだ。
つまり。問題は、味ではなく、分量にあったのだ。
思考回路そのものは、ぼんやりしているとか全くない。むしろ、悟りを開いたかのように明晰である。英字新聞でも形状科学の論文でも何でも来いと行った感じである。そりゃあ、血液中に許容量を超えるほどの糖が溢れているのだから、脳も遠慮無しに活動すると言うものである。
「難しい本でも持ってくりゃ良かったかなー」
その時は、まだ冗談半分にそんなことを言う余裕があった。
さらに10分後。
「いかん、マジで学術論文が欲しい・・・」
我が人生の中で、これほどまでに切実に学問を欲したのは、おそらく初めてであろう。血液中には大脳でも処理しきれない糖が未だ溢れかえり、しかし目の前にはその供給源であるいちごスパがまだ7合目の状態で残っているのだ。
「あ・・・そう言えば、小説とか描くつもりで全然書いてなかったや・・・今ここで書こうかな」
これは無論、現実逃避である。現実逃避して自宅療養している人間が、療養先でまで現実逃避している。全く以て笑えないブラックジョークだ。て言うかマジで、わたしもう笑えないよ・・・
衝立の向こうから、男子高校生の「まじー!」という声が聞こえる。向こうではメロンスパを食しているらしい。ああ私もあれくらい若かったら、周りに何の気兼ねもすることなく、今のこの思いの丈を、声をからして叫ぶ続けることであろうに。
イチゴキッスは初恋の味。萌え萌えでしょ
情報量を外積ベクトルと見なした疑似円の集合体にフラクタル性が存在するとき情報の集合が意志を持ったと仮定することが可能であり
助けてみさき先輩、近くにいるんでしょ
脳内を交錯する思い。涙が出る。こんなに辛いものだとわかっていれば、僕はきっと恋なんてしなかったのに。
おそらく10分後。
わたしは登頂した。完食したのである。否正確には、食していない。水で飲み込んだのである。小学校の時大量の給食が食べきれなくて500mlの牛乳で全てを飲み込む日々を送っていた、あのときの経験がよもやこんなところで生かされるとは。まさに芸は身を救、である。なんか違う。
「山」を降りると、もう夕方になっていた。初夏の風が心地よい。すごく晴れやかな顔してるね、母上にそう言われて気が付いた。そうか、中途半端でヘタレですぐ投げ出す自分だけど、あのいちごスパは自分一人で食べきることが出来たんだ、と。
苦しいとき、負けそうなとき。投げ出しそうなとき。これからの人生でそんなことがあったら、僕はきっと「山」を思い出すだろう。そしてきっと思うのだ。
「自分って何でこんなにバカなんだ」
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