春と呼ばれるこの季節(とき)

 気がつけばもう三月である。そういうわけで、ちょっと個人的身辺のことを書こう。何がそういうわけなのかわからないが、あまりこのことについて問いつめたりすると、巨大化して太平洋で昼寝しちゃうぞなどという危険な考えを持っていたりするので、やってはいけない。
 ここ最近、私は疎外感を感じている。学校とか、バイト先とか、友人とか、ネット上の人たちとか、とにかく自らに関わるあらゆる集団に対して何かしら疎外感を抱いている。疎外感といっても、決して集団が私を冷遇しているというわけではない。どちらかというと、私が勝手に集団から距離を置いているといったところだろう。
 まあ、思い起こせば物心ついた頃から、私は昔から集団で行動するのが嫌いな人間であった。幼稚園時分、私は図書室にこもって本ばかり読んでいた。親や先生はこの姿を見て「ああなんて本好きの子だろう」などと思っていたらしいが、少し違った。まあ、実際本は嫌いではなかったが、それよりもやかましく自分に関わろうとする園児どもが鬱陶しかった、という方が大きかった。
 この性格は今に至るまで続いている。まあ、さすがに年を取ってもこういうことをやっていると無用の迫害を受けることになるので、「周囲との妥協」というものを覚えてとりあえずその場をしのいでいくことになっていったわけだが。妥協というのはしばし「服従」と同義になることが多く、そういうわけで集団生活を強要する学校当局との関係は、割と良かった。まあ、表でいい顔をしながら、その実、裏で集団化教育を崩壊させるべくいろいろと策を巡らしていたわけで、そういう意味でとても卑怯な人間であったとも言える。
 まあこういう歴史的経緯はこの際どうでもいい。どうでもいいってことはないが、とにかくまあこの10数年は、周囲との妥協によってまあ何とか状況のきり抜けをやってきたわけだ。それが、ここに来てこういう精神状況。つまりは、「妥協しない」若しくは「したくない」という精神状態にあるわけだ。これは一体どうしたことか。
 何度もいうが、決して周りと喧嘩しているわけではない。むしろ良好とすら言える。おそらく周囲の人々は、私が疎外感を感じているなどと露ほども思っていないだろう。だから、もし彼らがこの記事を見たりしたらちょっとまずいことになったりするわけだが、どうもこのページの周知度はかなり低いらしいので、あまりこのことで心配しても始まらないだろう。
 思い当たる節は、ある。疎外感の理由のことだ。もちろん、関わる集団によって理由は違う。まあ、今ここでその理由を描いてしまうのは、相手を非難しているようでいやだから書かない。そんな事を言うのだったら、最初からこんな文章書かなきゃいいだろ、と言われるかもしれない。確かにその通りだ。こんな風に心情を吐露したりしたら、疎外感どころか本当に集団関係断絶、なんて事態になることもあり得る。
 それでもこんなことを書いていたりするのは、結局のところ今の自分が精神的に弱っているからであって、何で弱っているかというとこれもいろいろ理由があるが、風邪をひいているから、というのが大きい。風邪ひいて弱るのは身体であって何で精神がやられるんだ、といわれるだろうが、何故か私にとって、風邪というのは心身両面の故障を引き起こす厄介な病なのだ。風邪は万病の元とはよく言ったものだ。そういうわけで、結局今自分が書いているのは病的な文章以外の何者でも無いという確信を得て、私はこの文章を保存する。

戻る