被害者第1号

 前回の「文書」を書いてから、もう10日が経つ。いや、普段はこんなこと書かないんだけどさ、この十日間で野中のじいさんがまたなんか言ってるからさ。あ、もう今回は過剰反応しないよ。いやね、ここまでくるとさ、何かこう彼の行動に陰謀めいたものが見えてくるんだよね。「触らぬ神に祟り無し」、自分に関係ない陰謀ならひたすら傍観者に徹して楽しむが吉。

 てな事で、野中のじいさんとは全く関係なく、ハブクラゲの話。いやね、うるさいんだよ防災無線が。中城村の防災無線って、普段から朝夕6時半にケタやかましい放送流して日夜琉大生苦しめてるんだけどさ。これとは別に、真っ昼間に「ハブクラゲの被害が発生しています。注意しましょう」って。ハブクラゲ?いかにも沖縄特産、って感じの名前だ。しかしよく聞いてみると、「ハスクラゲ」にも聞こえる。どっちなんだろう。わからん。
 まあ、ハブでもハスでもいいんだけど。要するに刺された被害者がいるっちゅうことだね。今回のキーポイントはここだ。実はこの「クラゲ警報」、去年はやっていなかった。いやまあ、去年の八月は三週間くらい沖縄離れてはいたんだけどさ。少なくとも七月とか八月終わりとかにこんな放送はやっていなかった。それが今年は七月から連日この放送をやっている。ということはつまりこうだ。今年は七月頃にクラゲに刺された犠牲者が出てしまった。犠牲者が出てしまったので、「これは大変だ」ということで、いつもはやらない「クラゲ警報」を毎日流し出した、とこういう事だろう。
 いや、自分は何もここで中城村役場を非難するつもりはない。だってさ、こういうのってよくある事じゃない。問題自体はずっと以前から存在していたのに、誰もそれに注意を向けようとしないで、被害者が出たとたん大騒ぎするのってさ。学校教育しかり、O−157しかり、オウムしかり。沖縄の基地問題だって似たようなもんだよね。あ、念のために言っとくと、食中毒に関しては役所は以前からちゃんと警告とか出してるからね。ビラとか張り出したりしてさ。そういえば高校の頃、友人へのおみやげにと、長野県某市の保健所が出した「食中毒警報」のビラを大量に持ち帰って配ったことがあるっけ。絶対現地でしか手に入らないレアものであったにもかかわらず、何故か喜ばれなかった。
 いやまあ、ここで役所を弁護するつもり無いんだけど。うん、そりゃあ被害者なんかいない方が理想だからね。被害が出る前に危険を察知して警告出してくれる方が市民に取っちゃ有り難いんだけどね。ただ、現実には危険というのは「予測できないもの」なわけだからね。実際に被害が出ないと危険というものは関知できないわけだから。「いや、これだけ科学が発達した世の中なんだから、危険というものは基本的に察知できるはずだ」なんて思ってるあなた。科学を過信してます。いやむしろ、科学,というか物理学の立場から言わせてもらえば、「現在ではない、未来に起こる全ての現象は予測不可能である」というのが通説になってるんですからね。具体的に説明しようとすると、量子力学とかカオス理論とか持ち出してごちゃごちゃやらなきゃいけなくなるので、ここでは省略するけど。そう、私には説明できないのです。
 「じゃあ、被害者が出るのを黙って見過ごせと言うのか」。結果的にはそうなりますなあ。何しろ予測不可能なんだから。犬に咬まれたと思って、ってやつですか。しかし、実際に被害にあった側としてはたまったもんではないわけで、犬に咬まれて痛い思いをしたからには犬の飼い主に弁償を要求するぐらいのことはしたくなるわけですな。まあ、当然の権利でしょう。ところが、これが天災だの食中毒だのと言う一種社会的な被害になると話が違ってきてしまう。何しろ、加害者がいないんだから。こういう時に助けてくれるのが国だろっ!てな事で国に補償を要求すると、日本政府は何か「被害者」というものは全て共産党と繋がっているとでも思いこんでいるのか、ぴた一文金も何も出そうとしない。何だろうねえ。
 まあ、役所の言い分も一理あるけどね。「いちいちカネ出してたら国庫が持たんわー!」うん、確かにそうだ。しかし、しかしですな。出してやっていい人もいるんじゃないですか?事件が起きたときその事件の最初の被害を受けた人、被害者第1号。もちろん、社会的事件に限る。何故かというと、彼ら被害者第1号は、我々が予測できない危険に対して、身を呈して「警告」を与えてくれたことになるからだ。例えば、一昨年のO−157騒動。あれ以前からO−157というものは存在して、保健関係者にはその存在も知られてはいたが、一般の人間はO−157など見たことも聞いたこともなかった。食べてはいたんだろうけど。ところが、あの夏にO−157中毒でなくなった人が出たおかげで、我々はその存在の危険性を知ることが出来、最大限の注意を払うようになった。食中毒で死なずに済んだ訳だ。そうなると、あのO−157で死んだ人,まあ倒れた人も含めて、我々の命の恩人と言うことになる。だったら、彼らに対して国民一人一人から少しづつ恩返しをするのがスジってもんではないだろうか。つまりは、税金による保証ですな。
 もちろん、何でもかんでも補償すりゃあいいってもんじゃないけどね。世の中には馬鹿な人間がいるからさ。危険だって事が常識になってるのにわざわざやるやつとか。シンナーとか、宗教とか。直接関係ないけど、海岸沿いで水上バイク乗り回してる馬鹿、頭にくるね。ああいうやつこそハブクラゲに刺されちまえって思うんだけど。

 ところで、今話題になってる和歌山の砒素中毒事件。何だかあれは事故臭い感じがしてきたけどね、自分としては。だけどまあ、あれも社会的事件だからね。警告だよ。普通の人は、青酸は知ってても砒素ってあんまり知らんだろうからねえ。森永ヒ素ミルクなんてかなり昔の話だし。ということで、被害者の方々には十分に補償しましょう。それが社会の責任ってやつよ。ねえ。長銀助けるより安上がりでしょ。
 でもまあ、今の自民党政権じゃ駄目だろうねえ。だってさ、あそこって基本的に加害者側の政党だもん。自分らが害加えたことに謝ろうともしないんだから、自分がやったわけでもないことにカネなんか出すわけないよな。何のことかって?いや、守礼の邦がどうのこうの言うからさ。あ、結局こだわってるよ、自分。

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