8月は恐怖の薫り

 気がつけば、8月17日である。8/15がとうに過ぎてしまった。政治色の強い自分の立場を考えれば、本来ならこの日に何かかいておくのが筋というものだったが、すっかり忘れていた。ちなみに去年のこの日の文書では、「センチメンタル老人」という名で過去の繁栄にこだわる右翼老人をぶったぎっている。去年の今頃は、まだ意気盛んだったんだなあ。野中のくそじじいとか言いたい放題言ってたらしいし。しかしまあ、まさかあのときは、一年後に日本に国旗・国歌ができちゃうなんて思いも寄らなかった。しかも、靖国は神社じゃなくなるらしいし。ほんとに、世紀末というのは事態の進展が早い。
 世紀末といえば、恐怖の大王がインテグラに乗ってやってくるとか来ないとか、そういう予言があったらしいが、結局何も起きなかった。いやインテグラは研究室内部の話だが。ま、擁護派側からすれば「旧暦で言えばまだ7月だ」とか、「恐怖の大王はまだやってきただけで、動くのはこれから」とか、いろいろ言い訳はできるんだろうけど、そんなの無視。いや確かに、日本では恐怖の法律がどんどん成立しちゃったけどね。あ、恐怖の大王って、おぶちけーぞうの事だったのか。でもあのおっさん、だいぶ前から総理やってるぞ。まあいいや、そいでもって「火星」を「バギ星」に読み替えれば、21世紀は栄光の「パックス・バギーナ」の時代ということになるじゃないか。これで良しこれで良し。
 ・・・・なんてバカなこと言ってる場合じゃないよね。しかしこりゃ参ったね、公務員は自由だと思って受けたのに、こんな訳のわからん法律ができたら、行動にかなり制約受けるぞこれは。いや本来公務員ってのは不自由なものなのかもしれないけど。そもそも受かるかどうかわからんし。ああやはり自由を求めるなら民間企業、たとえリストラの嵐が吹き荒れようとも自由は自由、ってか。そういえば、ナデシコのクルーだって、軍人でなく民間企業の社員だからこそ、あんな無茶苦茶が許されてたわけだしな。ん〜〜。
 ちなみにナデシコというのは、「機動戦艦ナデシコ」のことである。実は自分はここ数日このナデシコのTV版全編を4日にわたって3回続けて見ていたために、停戦記念日が来たことも忘れていたのだ。いや全く、ここまではまりこむ自分をアホらしいとは思うのだが、感情というのはどうにも制御が難しいもので、はまっちゃうものははまっちゃうのである。感情の制御できない人間を世間では「コドモ」というわけで、そのコドモが喜んで見るのだから、やはりアニメはコドモのもの、ということになるのか。いやいやそんなことは認めない。本当に良い物は子供だろうと大人だろうと良いと思えるはずだ。まずい離乳食は赤ん坊だって嫌がるのと同じだ。ちょっと違うか?
 まあいいだろう。子供のものだというならば、自分は子供のままで良い。「ああそうさ、おれはコドモさ」と、我が大親友風に開き直ってみよう。その大親友は、ナデシコを認めようとしない(というか、ただの食わず嫌いな気がする)が。ま、大親友とはいえ、所詮は他人。趣味や見解の相違はあって当然だわね。元々自分の友達って、巨人ファンとか自民党支持者とか、結構多かったりするんだな。
 なんだか話の筋がシッチャカメッチャカになってきた。いつものことだけど。しかし、あまり筋がひん曲がった話ばかり書くのもよろしくないし。そういえば、確か秋までに小説一本書く予定だったんだよな。全くの手つかずだぞ。どーすんだ、おい。
 
 

 
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