気が付けば、明日で3月も終わり。
春の微風が心をくすぐるこの時期に、人との出会いとそして別れ
3月が年度末で4月が年度始だから何だけど、人がこの季節を別れと出会いの季節に選んだのは、やはり本能的な感性の為せる技だろうか
春は行楽の季節、そしてスポーツの季節と言われる。春だというのにスキーに行く人もいる。彼らは重力が恐くないのだろうか、そもそもあれは、林に突っ込んだり谷底に転げ落ちたりする危険なスポーツではなかったのか。
季節の変わり目は風邪をひきやすいと言われる、それは環境の変化に人が付いてゆけなくて、結果弱ってしまういわゆる感冒という奴の筈だった。流行性感冒、インフルエンザウイルスというのは熱に弱いので、本来春先には死滅しているべきものだった。
だが彼らは強くなった。己の生き場所を求めて。10年後、彼らは季節を問わず人類の体を支配する存在になっているかもしれない。
10年。10年前少年だった僕たちは、この国の繁栄が音を立てて崩れ行くのを見てきた。それは同時に、既に10数年生きてきてそして受け取ったもの、それらが否定される時でもあった。
もっと歳を取って既に自分の足で歩いていた人たち、彼らは否定を突きつけられても、自分で立ち直ることが出来た。でも僕らは、まだ未熟だった。造られた道を自分で歩くこともままならない。ましてや、自分で道を造ることなど出来やしない。
こうして失われた10年が始まった。今も続く、自我を失い迷走する時が。それは僕たちの、次の世代にも引き継がれてしまった。この時代しか知らない、まだ若い彼らに
経済は国の姿、その経済は低迷したまま。当たり前だ、原動力となる僕らが動かない、否動けない、否否動いてやらないのだ。あなた達がずっとそこにいるから。
あなた達が去ったあと、僕らは表にでよう、少し出遅れた、僕たちの力を試すために。その時はまた、彼らと闘わなければならないだろう。何も知らない強さを持った彼らと。
私を飛ばせてくれ、遠野美凪はそう言った。僕たちが飛び立てる日はいつ来るのだろう。