26の夏

  これ用、と言うかこの「日常の愚痴」用の文書を書くのは、本当に久々になる。何しろ、ちょうど一年書いていなかったことになるわけだから。その後も目次にはなんやかや出てはいるが、あれは全部どこかにメールで送ったり掲示板で書いたりしたものの転載である。ぶっちゃけて言えば横着文書というわけだ。あ、夏混みの獲得品レポートがあるか。でもこれは、ただの評価だし・・・。
 
 何でこんなに書かなくなっちゃったのか。書きたいことは、実はいっぱいあるのだ。しかし、それを思うのは勤務中のふと気が抜けたとき(実際に仕事している時間より長い)とか、帰りの電車の中とか、そういう状態でのこと。そしてそれは、家に帰るともう忘れてしまっている。それは、記憶力が衰えたという考え方もあるだろう。だが、こうも言える。私は、常に前に進み続ける、躍動型の人間になったのだ。だから、一つの考えにとどまって生きていることは、もはや不可能になってしまった。そういうことなのだ。うん、プラス思考プラス思考。
 
 とは言え、インターネットを私生活に取り込んで4年半。その間、特に8/15だけは必ず何かしらの文書を書くようにしてきた。去年のは速攻で無くしちゃったけど。それなのに、今年はついに何も書かなかった。確かに夏休み前半明け、しかも初参加の混み家明けという状況ではあった。
 が、小泉純ちゃんが靖国行っちゃったり、民族主義者が感情任せで書いたとしか思えないへぼ歴史本が教科書にされちゃったりと、「8/15に書く文書」の意味合いは非常に大きかったはずだ。否それ以前に、自分と同世代の人間が次々と民族主義に堕ちてゆく現実。この方がより深刻である。確かに既成左翼勢力のふがいなさを見れば、その反対側にある主張に惹かれるのも致し方ないことかもしれない。だが、同じ世代として、同じ価値観を少なからず共有しているものとして、彼らが内向きで進歩を否定する考え方に走るのは、辛いというか、非常に切ない。友よ、なぜ君は感情に走るのか。そう言ってやりたい気分である。
 
 なら言えばいいのに。
 
 それができないから、私には口で語る言葉を来る力が無いから、こうして文章で戦ってきたのではないのか。
 
  だから、とりあえず書いていこう。僅かでも、一行でもいい。書いていこう。書くことを、続けていこう。もはや制約にこだわる必要もないのだ。
 少なくとも、紫春だけは書き上げてしまおう。4ヶ月計画、長いな・・・
 
 
 
  以上。現在時刻、0:28・・・
 
 
 
 
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