荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸独自小説 >>ゆめいろの森の中で>>6話
6.
 
 がちゃん。そんな音が窓の外から聞こえて、目が覚めた。寝ぼけ眼で時計を見ると11時前であり、外は明るいから今は午前11時くらい何だなと認識した。そして、音の原因を確かめるべく、起きあがってカーテンを開けた。
 窓の外の手すりには巨大な挟み器が引っかかっており、その先からロープが垂れ下がっていた。そして、そのロープをよじ登って、まもなくこの窓にまでたどり着こうという古瀬智羽の姿が確認できた。
「またかよ・・・」
 僕は手すりに両手を掛けたまま、その場に崩れこんだ。窓が叩かれる音がして、見上げるとそこに、古瀬の顔が見えた。
「窓開けてー。」
 そう言っているのが聞こえる。僕は立ち上がって鍵をはずし、ガラス窓をスライドさせた。古瀬がレールに左足をかけ、「よっ」と言いながら部屋の中に飛び降りた。僕はそれを確認して窓を閉めた。
「窓から入ってくるなっていっただろ! 何でここから来るんだ!」
「だめなら開けなければいいでしょん」
「そういう事を言ってるんじゃない。それに、開けなかったら、またこの間みたいに騒ぐんだろう」
 古瀬がこの部屋に来るのは、もう何回目か知らない。そしてその大半は、窓から入ってきている。ここは2階にも関わらず、だ。むしろ表口から入ってきたのが2,3回しかなく、それは古瀬以外にも人がいたためだったからだ。
ここをトップに持ってくる
 一度、鍵を閉めたまま開けずに放ったらかしにしていた事がある。夜中だったが、一度懲らしめた方がいいと思い、そうしたのだった。しかし古瀬は、そこで大声でアニソンを歌い出し、人が群がってくる騒ぎになってしまった。8曲歌ったところで僕は観念し、窓を開けざるをえなくなったのだ。
「さあ。どうかしらねえ。」
 古瀬は天井を見上げながら、すっとぼけて見せた。
「一度、上ってる途中でロープ切ってやろうか・・・」
「若い者は、どうしてそう刑務所に入るような行為をしたがるかねえ。」
 僕と同い年のはずの古瀬は、そう言いながら冷蔵庫の方に向かっていった。
「あっ、待て・・・」
「おお、黒大豆ヨーグルトがあるではないですか。」
 僕が制止しようとする前に、古瀬は既に冷蔵庫を開けていた。
「響助君。これ、食べてもいいかな?」
「だめだ。それは、食後に食べるつもりで買ったんだ。」
「食後かあ・・・」
 古瀬は再び冷蔵庫を覗き始めた。
「そういえば朝食もまだなのよねー。何がいいかなー。」
「どれもだめだっ!」
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 僕は思わず強く叫んでいた。古瀬がおずおずとこちらを見上げていた。
「あ、・・・いや、ごめん。」
「響助君・・・」
 古瀬は、冷蔵庫の中に突っ込んでいた右手を差し出してきた。
「このチーズ、パンに乗せて食べたい。」
「・・・・。」
 古瀬の哀願するような上目遣い。僕は何も言い返せない。
「いいよね。ね? やったあ。」
 古瀬は嬉々として冷蔵庫の扉を閉じ、食パンをあさりだした。僕は何も言わず、崩れ落ちるようにベッドに座り込んだ。こういう事は、これで何度目になるだろうかと考えながら。
「響助君も食べる? 食べるなら一緒に作るよ」
「いや、・・・いい。なんだか食欲が失せた。」
「食べといた方がいいよ。もう昼前なんだし。毬音の話、長くなるかもしれないし。」
「ああ、ああ。」
 そう言われて、僕は今日が昨日の翌日である事を思い出していた。
「昨日、ごめんな。」
「ん? ああ、そうね。でもしょうがないでしょ、あれは。」
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「しょうがない・・・のかな。」
「まあ、そういう事にしときなさいって。誰もけが人は出てないんだし。」
「毬音は体調を崩したけど」
「あれは・・・」
 古瀬は、少し考えて続けた。
「・・・まあ、少なくとも響助君の所為じゃないし。」
 オーブンレンジからピーという電子音が鳴り、古瀬がその扉を開けた。
「・・・そうか、響助君はある意味、今まで蚊帳の外だったんだ」
 オーブンレンジを覗き込んだままの格好で、古瀬はそう呟いた。それが単なる独り言なのかどうか、それはわからなかった。
「ま、今日で全てがわかるはずよね。」
 そう言って古瀬は、二枚のパンを取り出し、一枚を僕に差し出してきた。焼けたチーズの上にブルーベリージャムが乗っていた。
「おい、これ・・・」
「こういうのもなかなかいけるのよ」
 古瀬は既に、パンをほおばりだしていた。
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「いや、そういうことじゃなく・・・いやそれもあるんだけど、なんというか、また勝手に食材を・・・」
「あたし、こう見えても共産主義者だから。」
「わけのわからん言い訳をするなっ!」
「まあ、親思いは水心、って奴よ。」
「だから全然意味がわからん・・・」
 僕はため息をついて、そして一口パンをかじった。そして、ふと思い当たり、訊いてみた。
「古瀬・・・お前、もしかして、学園警備隊の本部でも、こういう事やってるのか?」
 古瀬は窓の外を見ていた。
「今日、天気いいわね。」
「ごまかすなよ。と言うか、ごまかすという事はやってるんだな」
「あたし、そんな見ず知らずの人たちにものをたかるほど、図々しくないよ?」
「学園警備隊の連中は、古瀬にとって何だ?」
「はっきり言って同志ね。」
「・・・そうか。」
 僕は、それ以上を訊く気になれなかった。
 
 
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 昼すぎに、智羽と共に寮を出た。二人で歩いているところを毬音に見られたらまずいかなとも思ったが、しかしやましい事があるわけでもないし、毬音は話せばわかってくれるはずだと思った。そもそも、これからその毬音と会いに行くのだ。
「あの森は・・・」
 古瀬が話しかけてきた。
「あの森は、毬音と二人でよく行ってるんでしょ」
「あ、ああ。主に夜だけどな。」
「なぜ夜に?」
「いや、特にこれといった理由は。最初に会ったのが夜で、それからずっと。」
「なんか、あやしい関係ね」
「あやしくない。」
「あやしくないの。じゃあ、どんな関係?」
「それは・・・」
 何故か、そのときは答えが出てこなかった。
「ったく、それくらい即答しなさいよ・・・」
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 古瀬は呆れたようにそう言い、そして、宙を見つめるようにつぶやいた。
「初めは夜、そしてこれからは昼・・・あたしはどちらにいればいいのかな・・・」
 その言葉の意味は、僕にはわからなかった。何も答えなかった。僕に向けられたものではない、そう思う事にした。
 
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 毬音はドームの中心にいた。そこには、他に人はいなかった。
「紺田君と馬場さんは、外にいるわ。そこ。」
 そう毬音が指さす先には、確かに誰かがいるようであった。わざとらしくちらちらと見える肩は紺田のものに見えたが、気にしない事にした。
「先に、3人の用事を済ませましょうか。こっちに来て。」
 言われて、僕と古瀬は毬音の前に立った。毬音は僕の左手を取り、それを両手で握りこんだ。唐突なその行為に僕は戸惑い、そして自分で頬が赤くなるのがわかった。
「違うの。そういうのじゃないから。」
 そういうのじゃないから。そういうのじゃないから。その言葉に僕は、自分の感情にひどく恥を感じた。そして、否定した。そういう事じゃない。そういう事じゃない。
 その間に毬音は古瀬の手をも取り、そして3人の手が合わさった。
「こんな事、わざわざする必要があるの?」
 右手を毬音に預けたまま、古瀬が訊いた。
「ううん、無い。でも、響助君にこの事で動揺して欲しくはないから、それで・・」
「大事なんだ。」
「・・・そうね。」
 そして毬音は、何かを確かめるように頷き、古瀬がそれにゆっくりと頷いて応えた。それは何かを始めるという意味だと受け取り、僕も頷き返した。毬音は目を閉じた。僕も閉じた。
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 風が、吹いた。そして、流れ込んでくる何か。音でもない。映像でもない。強いて僕の知っている言葉で表すならば、それは情報だった。何者かの、意志を表現するための情報。その意志の目的は好意。目標は自分。そしてそれが出ているところは――古瀬。
 僕は目を開いた。堅く目を閉ざした古瀬がそこにいた。なんだろう、今のは何だろう。思考に動揺が起き始めた時、左手がより堅く握られた。その毬音の手の感触に我を取り戻し、落ち着いた思考の波が戻ってきた。そして改めて考える、なんだろう、今のは何だろう。
「そう、今のはあたしの心。」
 目を開き、意を決したように古瀬がそう言ってきた。その言葉の意味を、僕は考えていた。古瀬の心。そうか、今のは古瀬の心なんだ。でもそれは、どういう事だろう。何故そんなものが伝わってくるのだろう。この手、合わさった手に原因があるんだろうか。そう思い、握りこまれた自分の左手に目を落とした。そして、握っていた毬音の手は離れた。
「これが、あなたに知っておいて欲しかった事の一つ。」
 毬音は、僕の目をまっすぐに見ながら言ってきた。
「あなたが私に抱く好意はわかっているし、それは私にとってもとても嬉しい事。でも、あなたに向けられるもう一つの好意があることも、わかって欲しかった。知っているのと知らないのとでは、ずいぶん違うから。」
 僕は古瀬の方を見た。目が合った瞬間、古瀬はそっと目を逸らした。僕も、視線を落とさざるをえなかった。事実が確かにそこにあった。そして僕は、判断が出来ないでいた。僕はどうすればいいんだろう。
「答えは、今出さなくていいわ。もう一つ、知っておいて欲しい事があるから。」
 そう言って毬音は、先程紺田が隠れたふりをしていた場所の方を向いた。
「すみません、こちらまで来て頂けますか。」
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 言われて、陰に隠れていた馬場が姿を見せた。紺田は出てこようとしなかった。
「紺田先輩、呼ばれてますよ?」
 そう馬場に言われても、なお紺田は出てこようとしなかった。隣から、古瀬のため息をつく音が聞こえた。そして、古瀬が紺田のいる方に向かって叫んだ。
「紺田君、大親友の響助君が来て欲しいって言ってるよ!」
「はっはっは、しょうがないなあ」
 紺田はあっさりと出てきた。僕はなんだか不愉快だった。
「それでは、始めましょうか。」
 毬音は何事もなかったかのように、全員を見渡してそう言った。そして、右に3歩進み、星が見える位置、小枝が覆うドームのほぼ中心に立った。他の4人はそれを囲むように移動する。そして、中心に立ちすくむ毬寧が、そっと目を閉じる。
 風。そして体の中をすっと吹き抜けるような感覚が走る。風は強くなる。視野に映るもの。ドームの中を、周状に薙がれる草葉、枝葉。毬寧を中心に、風が回転しているようにも見える。否それは、むしろ彼らが自ら動いているかのようにも見えた。
 そして。
「え・・・?」
 旋律。
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 聴覚を通してでは、無い。大脳の感覚野に直接響き渡ってくるような、そんな旋律が聞こえる。決して不快ではない。むしろ、心を研ぎ澄ますような、そんな心地よさを伴う。それは、意志ではない。ただ、多くの命から伝わってくる何か、そういう感覚はあった。
 ふと、ほんの一瞬、他の3人の事が気になった。彼らは一体今どんな感覚なのだろう。そして少しの間を置いて、意志が流れ込んでくる。それは3つの意志である事がわかり、しかしそれ自体は一つであった。そしてそれには、覚えのある感覚、古瀬智羽の意志が含まれていると感じ、残る二つは紺田と馬場のものだろうと、判断した。そして意志でない感覚は草木の歌声。それが3人と、それを感じる1人の結論だった。
 風と歌声が身を包んでいた。広く、もっと広く。聴く意志を深めるほど、それはより大きな声、より大きな生命の集団を感じさせるものへとなっていった。時は感じない。あらゆる壁となるものは、今この瞬間に於いては、無意味であった。
 
 
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 気がつくと、風も旋律も止まっていた。毬音の閉じられていた眼が、そっと開く。そしてその口も開かれた。
 
 私は、生まれもって心を感じる事が出来ます。獣、鳥、水に棲む魚。木々や草花。私の周りにいる、全てのいくとし生けるものが対象です。伝えたい意志、強い生命の息吹。そういったものがある時に、私はそれを感じる事が出来るのです。それにはもちろん、人も含まれます。
 私は、生まれもって心を伝える事が出来ます。人から鳥へ。木々から魚へ。それらの、対話のないもの達の間で、心と心を結ぶ事が出来ます。意志は言葉が無くとも伝わり、生命の息吹は他の命と共鳴してより強さを増します。もちろん、人と人との間の、言葉無き意志のやりとりも可能です。
 私に何故このような力があるかはわかりません。私にこのような力がある事の意味もわかりません。私の力は時として人を惑わし、そして私自身も決して強い人間ではありません。だからこの力は滅多に使いません。それでも、信頼したいと願う人には、知って欲しいとも思うのです。私は、心を紡ぐ者であると。
 
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 いつしか風はやんでいた。言葉だけを選び取っていた僕の意識が、再び視界を認識し始める。毬音と、3人と、木々達と。
「響助君。あなたには、全てを知って欲しかった。全てを知った上で、判断して欲しかった。私にあなたの心は見えても、それを作り上げる人格全てが見えるわけではないから、だから・・・」
 僕は何も言わず、まっすぐに毬音を見つめながら歩み寄った。手を取る直前に古瀬の方を向き、ゆっくりと目を閉じてまた開き、言った。
「ごめん」
「いいの。とっくにわかっていた事だから。」
 そう言って古瀬は、横を向いてしまった。
 そして僕は毬音の両手を取り、まっすぐにその瞳を見て、言った。
「君が伝えたいこと、僕は知ったつもりだ。だから見て欲しい。僕の心は、前と何か変わった?」
 毬音は大きく頷いた。そして言った。
「強くなってる。嬉しい。」
 そして毬音の頭が、僕の肩により掛かってきた。周りには木々があった。3人の姿は、いつの間にか見あたらなくなっていた。
 
 
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