荒野草途伸ルート >> 荒野草途伸独自小説 >>ゆめいろの森の中で>>7話
7.
 樹々の描く円の中心。そう思ったところに、座っていた。頂点から27°ほどずれた位置から、光が差し込んでくる。枝葉に覆われていない部分。ああ、あれが、星の見える場所という事ね。そう思いながら、持参していたペットボトル飲料を口にした。甘ったるい砂糖と、ブルーベリーの味がした。週末午前。天気は晴れ。
 しばらく、何もしないでいた。時が経過していく、ただそれだけを思った。差し込む光は時に強く、時に薄くなり、ああ雲が流れているんだなと思った。そして光の差さない部分、樹々の枝葉に覆われた部分は、ずっと変わらないままだった。
 ふと思い立って、耳を澄ませてみた。心を落ち着かせてみた。そしてまた、時が経った。何もなかった。何も感じられなかった。ただ差し込む光が変わるだけで、風すら吹かなかった。
「ばからし・・・。」
 そう言ってあたしは、両手を枕に、その場に寝転がった。続く何やってんだろという言葉は、心の中でのみ呟かれた。そして思考は、その理由に対する回答を求め始めていた。
 もし。ここにいたのが毬音でなく、あたしだったら。
 それは、とても無意味な仮定に思えた。ここにいたのは不思議少女の野口毬音であり、だからこそ井塚響助にとっては意味のあった事なのだ。仮にあたしがここにいたとしても、彼にとってのその認識は、ここにいる古瀬智羽ではなく、なんちゃってクラスメイトの古瀬智羽がたまたまここにいたという事にしかならない。きっと。
 結局彼と親しい事は、あたしにとってたいした益にならなかった。積み重ねた関係は、偶然に負けてしまったのだ。そう考えると無性に悔しさがこみ上げてきて、そして何が何故いけなかったのだろうという考えが走り始めた。私と彼の出会いも、やっぱり偶然ではなかったのかと。
 
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 一年前、いや、まだ一年は経たないくらいの前の事。授業登録が行われている教室の片隅で、私は一人でぽつんと立っていた。他学部他学科への飛び込み登録。実験科目であるそこでは、それは歓迎されない事だった。大学として認められている事なのに、と食い下がる私に、教官は人数が合わない駄目なんだと答えた。その学科に所属する人間で二人組24のグループが作られ、余りはなかった。そしてキャンセルはなかった。
「君の事は知っているよ。認知の特別奨学生で、よその授業までも果敢に取りに行く学生がいると。」
「ご存じいただいて幸いです。」
「まあ、その意欲は買うが・・・必須でもないんだし、これ一つくらい取らなくてもいいんじゃないの?」
 それは、確かに正論だった。それでも私はただ一人、立ち続けていた。何が自分をそんなに意固地にさせていたのかわからなかった。敢えて挙げるなら、戦わずに去るのは嫌だと。そんな感情的な理由しか思いつかなかった。
 その場にいる学生は、皆一様に黙っていた。この学生達とは、多少顔見知りではあった。この学生達の属する総合自然学科、そこの科目を前期に取ったし、今期も既にいくつか登録を済ませている。一緒に昼食を取った中の人もいる。それでもみんな、何もしなかった。目を伏せたままだった。ただ一人、眼鏡の男がふんぞり返っている以外は。
 そして、今もう一人。その隣にいた男子学生が、こちらを見た。目が合った。優顔、見た覚えはある。でもまだ話した事のない人だった。名は、なんと言ったろうか。そう考えているうちに、誰かが席を立つ音がした。今目が合った男子学生だった。彼は何かを決意したような表情で、こちら側に歩いてきた。
「おっ。動くか。」
 そう言って、隣の眼鏡の男も立ち上がった。こいつは知っている、確か、紺田といったろうか。だが優顔の彼はそれには反応せず、まっすぐに私と教官のいるところに向かってきた。
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「先生。古瀬さんを入れてやってくれませんか?」
「話、聞いてただろう。機材に限りがあって、人数が合わないから。」
「僕のところに入ってもらいます。三人で。それならいいでしょう。」
「いや、二人って決まってるから。」
「二人でやる実験を三人でやっていけない理由があるのですか?」
 彼は、なぜだか執拗に食い下がっていた。紺田は、しきりにメモを取っていた。教官はそれをちらりと見て、少し考えてから言った。
「一人は操作、一人は記録。もう一人は手が空く。そうすると、手が空いた人間がどこかへ行ってしまうんだ。」
「参ったな。」
 そう言ったのは、紺田だった。私たち三人を含めて、全員の視線がそこに集まった。
「いや、なんでもないです。続けてください。」
 教官の顔には、疑いの色が濃くなっていた。目の前の、まだ名を知らぬ彼は、困ったように黙ってしまった。そしてまた沈黙が訪れた。
「なら。」
 紺田が一歩こちらによって来て、その左手を黙ったままの相方の肩に置いた。
「井塚響助は今期、登録しません。但し、必修科目ですし、万が一にも来期落とすといけないので、見学だけすることにします。それでどうでしょう?」
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 井塚響助と呼ばれた彼は、え、というような顔をして紺田の顔を見た。しかしすぐに、何かに気づいたように視線と表情を戻した。
「いや、しかしそれでは」
 教官は少し動揺していた。
「先生はつまり、私が途中で教室を出て行ってしまうのではないかとお疑いなのですよね? もしくは、学科の違う古瀬さんか。その二人は、操作か記録をやります。響助君は出ていくような人間じゃないし、万一出ていったとしても登録してないわけだから問題ないですよね?」
 それは論理のすり替えだった。でも私は、それを指摘する気にはとうていなれなかった。代わりに、一緒になって教官を見つめていた。響助君も、一緒になって教官を見つめていた。教官は、一度深い呼吸をした。
「登録していない学生が入ってくるのは、それもあまり良くない事だ・・・」
 そして、一呼吸置いて続けた。
「二人で記録をつけるようにしてください。終わった後で、間違っていないか照合して。それと、無闇に教室を出ない事。休まない事。それで良ければ、三人とも登録します。」
 私は、響助君の顔を見た。彼は、紺田の方を見た。紺田は頷いた。そして、三人で声をそろえて言った。
「ありがとうございますっ!」
 
 
 
 
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「どうしたんですか? こんなところで。」
 声をかけられた。そして気づいた、今自分がいる場所と時間に。緑色の葉で埋められた視界の隅に、馬場諭紀子の姿が見えた。
「ん、何もしてない。」
「そうですか。」
 諭紀子は、私の隣に腰を下ろした。
「昨日の残念会のせいで鬱になっているとか・・・そういうことではないですよね?」
「そういうことにしておこうかな。」
「私はかまいませんけど・・・・主催は紺田先輩ですし」
「あなたも共犯よ。」
「では昨日の件は、普段のあなたの行動に対する復讐ということにしておきます。」
「ああ、そうですか。それじゃ仕方ありませんねえ」
 そういって私は、首を振って見せた。
「それで、ここにいるのは何故ですか?」
「うん、何となく。と言うより、何もしないためにここに来たの。」
「あなたでも、そんな時間を持つ事があるんですね。」
「うん、そうね。たまにはね。」
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 そう言ってから気づいた、それは本当にたまにだったのだと。5年前、母が亡くなったときから。3年前、父が亡くなってから。そして1年前、井塚響助と出会ってからも。
「・・・だから、駄目だったのかな。」
「何がですか?」
「走り続けている女って、やっぱり男から好かれないものなのかな。」
「どうなのでしょう。確かに捕まえにくいとは思いますが。」
「捕まえにくい、か・・・。」
 私の頭の中に、捕獲という言葉が浮かんだ。それはたぶん意味が違うと知りつつも、その言葉が頭の中から離れなかった。
「最も、にくいもなにも、捕まえる事自体を厭がる人もいますけど。」
「よね。」
「井塚さんは、どちらかというとそういう人な気もします。」
「じゃあ、こっちからとっ捕まえないと駄目なのかな」
 私の頭の中で、対人用ネットランチャーの設計図と青写真が浮かび上がった。それは井塚響助を捕獲するためのものであり、実際そうしたいとも思った。しかしそれも、今諭紀子と話している内容とは違っていた。
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 諭紀子は、次の返答を考えているようだった。勿論、私の現在の思考など知るよしもない。そしてあまり知られたくはない。この場に毬音がいなくてよかった、そう思い、そして、毬音はこれを他人に伝えるだろうか、とも思った。
 いや。もしも私が知られたくないと思っているのなら、それを流すようなことはしない。彼女はそういうことができる人だ。自らも、何も聞かなかったかのように。そして知って欲しいと思うことは伝えてくれる。
「・・・そうですね。捕まえて、そのまましばらく抱いて走っていくくらいでないと、いけないかもしれません。」
「えっ?」
 突然諭紀子から返ってきた返答に、私は少し慌てた。
「ううん、ごめん。えっと、それって、一緒に走っていくじゃ駄目なの?」
「だって、同じ早さで走れるとは限りませんよ?」
 そう言って、諭紀子は真顔であたしの顔を見つめた。
「特にあなたの場合。」
「何故。」
「訊くまでもないでしょう。理論派の秀才で成績優秀での特待生なくせに、傍若無人でどこにでも突撃していき、しかも食い意地が張っている。」
「・・・あたし、そういう風に見られてるわけね。」
「どう見られてると思っていたんですか。」
「それは、まあ・・・おしとやかに見られてるとは思ってないけど。」
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「ちなみに学園警備隊の中では、レミング古瀬と呼ばれてますよ。」
「レ・・・!」
「冷蔵庫の中のものを食い荒らして去っていくからです。」
 わざわざ解説してくれた。
「命名者は紺田先輩です。」
「あのやろ・・・」
 そう言うと諭紀子は、くすくすと笑った。不機嫌な顔をあまり見せない子だが、しかしそんな風に笑うところもそれ以上に見なかった。打ち解けた、そう考えると不思議だった。自分は特に何もしていないのに。
 諭紀子のそれは、すぐに真顔に戻る。いつも見る顔。彼女の私に対する基本姿勢。
「ところで、さっきの話・・・」
「ん?」
「捕まえられなかった人って・・・」
 そこで、諭紀子は暫し間を置いた。私は、息継ぎをするかのようにペットボトルに口を付けた。
「紺田洋平ですか?」
「ぶっ!」
 口から喉に、流れ込む途中だった液体。胃に達するはずだったそれは、突然の呼吸の乱れで再び外に放り出されてしまった。
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「けほっ。けほっ」
 むせかえる私を前にして、諭紀子は黙ったままだった。素のままの表情で。だけれども、その口元がわずかに緩んでいたのを、私は見逃さなかった。
「なんちゅう事言ってくれるかな。と言うより、わざとでしょ。」
「ええ。」
「意外と性格悪いのね。」
「そんなことないです。でもあなたは、敵ですから。容赦しません。」
「敵? そうか、素敵に無敵ね。フフン、あたしに相応しい言葉だわ。」
「敵が無いなんてあり得ません。むしろ敵素大発生です。」
「なによ、敵素って。」
「敵が出来るごとに発生する元素です。燃素みたいなものです。人間の器が小さいと、すぐ敵素で埋まっていっぱいいっぱいになります。」
「なんじゃそら」
「私の思いつきです。」
「いや、それは言われなくてもわかるけど・・・」
「そうですか。」
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 そこで、諭紀子は一呼吸置いた。
「でも。これだけ敵素を出しながら、まだ余裕のあるところを見せられるというのは。人間の器が大きいという事なのでしょうか。」
「そこは、褒めてると受け取っていいの?」
「そうですね。そうなります。」
「そうか。」
 それは、素直に嬉しかった。余裕なんて無い、という言葉は一瞬だけ頭をよぎったが、それもすぐに消えた。それがなければきっと、今まで走り続けることなどできなかっただろうから。
 そして、しばらく沈黙が続いた。何を思うともなく、空をみていた。すき間からわずかに見える空。わずかな視界の隅、諭紀子もまた、同じ方向を見ていた。きっと彼女も、特に何も考えていない。何故かそう思った。
 二人の傍らで、わずかに漏れ流れてくる光が波を打っていた。それはきっと、あの雲が流れているから。風が、雲を流している。そう感じた。
「・・・通じないって、やっぱり辛いですよね。」
 天井を見上げたまま、諭紀子がそう話しかけてきた。
「唐突ねえ」
「そうですね。私も突然、そんな事を思いました。」
「そう。」
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 諭紀子が上を見たままだったので、私もまた、上を向いた。雲よりも、枝葉がより目に入った。そしてそのまま、言葉を待っていた。
「・・・私も、通じないんです。」
「そう。」
 私の場合は違う。通じて、なお、駄目だった。そう言いそうになり、すんでの所で言葉を抑えた。
「いえ。正確には、私の思いは通じているんです。確実に。でも・・・」
 諭紀子は、視線を地面に落とした。
「彼の思いは、私に通じない。流れてこない。」
「そう・・・辛いわね。」
 それは、私と同じ状況なのだろうか。通じても、それを肯定してはくれなかったという。それとも、もっと違う話なのだろうか。
「昨日。この話を、野口さんにもしたんです。」
「毬音に? そう。」
「野口さん、私と一緒に、彼に会ってくれるそうです。」
「そうか。それはいいかもね。」
 話の流れがよく見えなかったが、そうすることはいいことだと思った。
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「ただ。私よくわからないんですけど。ああいう力を持った人って、人の心を伝えるかどうかを選ぶこともできるんじゃないですか?」
「ん? んん、そうね。だから・・・もし彼が、本気で心の内を知られたくないと思っていたら、毬音はそれをあなたに伝えはしないでしょうね。」
「ええ。それもあるんですけど・・・。」
 光の波は、いつの間にか消えていた。
「そういう力を持った人なら。自分の心を伝えるかどうかも選べるんじゃないかと。」
「・・・言ってることがよくわからないんだけど。」
「つまり。野口さんを以てしても、彼の心の内を知ることはできないんじゃないかと。」
「ん? それって・・・。」
 その、諭紀子の言う彼は、心を通わす力を持った者。野口毬音と同族である。
「そういう事だと思います。」
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 風が、吹いた。水気を含んだ風。それは、この先にある湖から来ているのだと感じた。
「私、実は彼のことあまり知らなくて・・・・。」
 諭紀子のその言葉は、とても小さかった。
「ふう・・・・」
 直ぐに答えが出ない。私は天井を見上げた。枝葉が風にそよぎ、雲はもう流れてはいなかった。
「・・・まあ、少なくともあたしは、毬音がそこまで出来るとは訊いてないから。」
 保証のない言葉だと知りつつも、私はこう続けるしかできなかった。
「大丈夫。きっと、これから知ることが出来るわ。」
 
 
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